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岡山地方裁判所 平成4年(行ウ)2号 判決 1994年10月12日

原告

岡山電気軌道株式会社

右代表者代表取締役

松田基

右訴訟代理人弁護士

近藤弦之介

被告

岡山地方労働委員会

右代表者会長

上村明廣

右指定代理人

甲元恒也

出射勝巳

萱尾美雄

安延健一

山本忠明

岡崎昭憲

被告補助参加人

私鉄中国地方労働組合岡山電軌支部

右代表者執行委員長

津田俊明

右訴訟代理人弁護士

奥津亘

主文

一  原告の請求中、

1  岡山県地方労働委員会岡委平成元年(不)第一号岡山電気軌道不当労働行為救済申立事件の、平成三年一二月二〇日付け命令主文一、三及び四の取消しを求める部分を棄却する。

2  同主文二の取消しを求める部分を却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  岡山県地方労働委員会岡委平成元年(不)第一号岡山電気軌道不当労働行為救済申立事件の、平成三年一二月二〇日付け命令(以下「本件命令」という。)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本件命令主文一、三及び四の取消しを求める部分について主文一1同旨。

2  同主文二について、第一次的に主文一2同旨、第二次的に請求棄却。

3  訴訟費用について主文二同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件命令主文一及び四(ストカット)

(一) 補助参加人は、昭和六三年春闘で、九波二三日間のストライキ(以下「本件ストライキ」という。)を実施した。

原告は、昭和六三年七月二五日、同年七月分の給与の支給に際し、本件ストライキに参加した補助参加人の組合員について、右給与中の住宅手当及び精勤手当からストライキのために欠勤した日数分の金額を控除(以下ストライキを理由とする賃金の控除を「ストカット」という。)して支給し(以下「七月二五日付けストカット」という。)、同年九月九日同年の臨時給与夏季分の差額分及び住宅(第二)手当夏季分につき、同年一二月九日同年の臨時給与冬季分及び住宅(第二)手当冬季分につき、それぞれ前同様にストカットし(以下それぞれ「九月九日付けストカット」、「一二月九日付けストカット」という。)、被告は、別紙(略)記載の本件命令を発し、本件命令は、右各ストカット(以下まとめて「本件ストカット」という。)は補助参加人に対する不当労働行為であると判断した。

(二) 労働者の賃金請求権は、労務が現実に提供されて初めて発生するから、労務の提供がない場合には反対給付である賃金も発生しない(ノーワークノーペイ)。ストライキによる不就労の場合は労務の提供がないから、その分の賃金を支払う義務はない。

本件ストカット実施当時有効に存在していた原告と補助参加人間の労働協約(以下「本件労働協約」という。)九五条は、「会社は争議行為に参加した組合員に対してはその日数及び時間に対する一切の賃金はこれを支払わない。」とした。「一切の賃金」であるから、本件ストカットの対象とされた住宅手当、精勤手当、夏季・冬季臨時給、住宅(第二)手当(以下「本件手当等」という。)がこれに含まれる。

就業規則である昭和六三年当時の賃金規定(以下「本件賃金規定」という。)には、二六条及び三〇条にそれぞれ精勤手当及び住宅手当に関する欠勤の際の減額規定があり、原告と補助参加人間の昭和六三年七月一五日付け協定書(以下「本件協定書」という。)には、年間臨時給与及び住宅(第二)手当に関する欠勤の際の減額規定がある。

本件労働協約、本件賃金規定及び本件協定書には、ストライキによる不就労日数を通常の欠勤と区別する旨の規定は存在しない。

(三) 原告と補助参加人との間には、ストカットを行わないとの合意又は労使慣行はない。

仮に、基本給以外の賃金についてストカットをしないという慣行的事実又は事実的慣習が認められるとしても、原告は、昭和六二年七月に、以後は基本給以外の賃金についてもストカットを行う旨通知してこれを実施し、その後相当期間を経過したから、右の慣行的事実又は事実的慣習は破棄された。

(四) 本件ストカットは、昭和六一年以降原告の経営状態が急激に悪化したために経営合理化の必要性から実施したものであり、合理的な理由に基づく。

(五) したがって、本件ストカットは、右の原則並びに本件労働協約、本件賃金規定及び本件協定書に基づく適法なものであるにもかかわらず、これを不当労働行為と判断した本件命令中主文一は違法である。

2  本件命令主文二及び四(チェックオフ)

(一) 原告は、従前行っていた補助参加人の組合費及び闘争積立金のチェックオフを、昭和六三年一一月分から廃止した(以下「本件廃止」という。)。被告は、本件命令を発し、本件廃止を不当労働行為と判断した(原告は、平成四年二月二一日会社従業員の過半数を代表する者との間で書面による協定を締結して、補助参加人の組合費及び闘争積立金のチェックオフを再開した。)。

(二) 本件労働協約一一条は、チェックオフについて、「控除して支払うことができる。」と規定しているから、チェックオフは原告の権限であって義務ではない。

(三) 原告と補助参加人間には、右条項以外に、チェックオフに関する協定はなく、原告が従前行っていた組合費及び闘争積立金のチェックオフは労働基準法二四条一項ただし書に違反していたから、本件廃止は違法状態を解消するものである。

(四) 原告と補助参加人間では、原告がチェックオフを行う義務を負う労使慣行はない。

(五) 本件廃止は、複雑多岐にわたっている労務部の事務の簡素化のためで、合理的な理由に基づくものである。

(六) したがって、本件廃止は適法であるにもかかわらず、これを不当労働行為と判断したのは誤りである。

(七) 仮に、本件労働協約一一条が原告にチェックオフの義務を課する規定であったとしても、本件労働協約は有効期間満了日である昭和六三年一二月三一日の経過により失効したから、原告は以後チェックオフを行う法的義務を負わない。

3  本件命令主文三及び四(脱退勧奨)

(一) 被告は、本件命令を発し、本件命令は、原告の高屋営業所長である神崎厳(以下「神崎」という。)らが、補助参加人の組合員である太田克巳、吾郷泰弘、早瀬隆正に対して行った、勤務態度についての注意、会社の業績回復等についての協力要請、運行管理代務者となることの打診等を、補助参加人からの脱退勧奨であると判断した。

(二) 右は誤りである。

よって、原告は、本件命令の取消しを求める。

二  請求原因に対する答弁

(被告及び補助参加人)

1 請求原因1(一)は認める。(二)ないし(五)は否認する。

(補助参加人)

本件労働協約九五条の「一切の賃金」には、基本給以外の手当・臨時給与は含まれないし、本件賃金規定及び本件協定書の「欠勤」には、ストライキによる不就労は含まれない。原告と補助参加人間では、基本給以外の手当については、ストカットを行わないという労使慣行が存在していた。本件ストカットは、原告が、ストライキを嫌悪し、これに対する報復として、将来にわたりストライキを抑制し、その結果として賃金の抑制を狙い、ひいて組合の存在意義を薄め、発言力、影響力を低下させ、組合の弱体化を図る目的でしたものであり、補助参加人の組合員の賃金請求権を確立した労使慣行に反して一方的に奪うものである。したがって、労働組合法七条一号、三号該当の不当労働行為である。

2 同2(一)は認める。(二)ないし(七)は否認する。

原告は、平成四年二月二一日会社従業員の過半数を代表する者との間で書面による協定を締結して、補助参加人の組合費及び闘争積立金のチェックオフを再開している。したがって、本件命令主文二については、その命令の内容が実現されているから、原告には、右命令の取消しを求める法律上の利益はない。右部分の訴えを却下するべきである。

(補助参加人)

本件労働協約一一条は、原告にチェックオフの義務を課す規定である。

本件労働協約の有効期間は、昭和六三年一二月三一日までとされており、原告は、有効期間内である同年一一月一四日、補助参加人にチェックオフの廃止を通知し、同月二五日の給与支給日以降廃止した。したがって、本件廃止当時はチェックオフについての書面による合意が存在していたものであり、違法ではなかった。

原告は、昭和六三年一二月九日、本件労働協約を同年一二月三一日で失効させ同六四年一月一日以後は労働協約を継続する意思はない旨を一方的に通知し、補助参加人の更新要請に応じなかった。そのため、以後無協約状態となったものであり、原告は、自ら作り出した違法状態を口実にチェックオフを拒否しているものである。

本件廃止の主たる目的は、組合員の組合からの離反を誘発し組合の弱体化を図ることにある。

したがって、本件廃止は不当労働行為である。

3 同3(一)は認める。(二)は否認する。

(補助参加人)

神崎らの前記三名の組合員に対する行為は、補助参加人からの脱退勧奨であり、補助参加人に対する支配介入である。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する(略)。

理由

一  請求原因について。

1  請求原因1(ストカット)について。

(一)  (一)については争いがない。

(二)  証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 当事者

原告は、軌道・索道及び自動車による一般旅客運輸等を業とする株式会社である。

補助参加人は、原告の従業員で組織する労働組合で、日本私鉄労働組合総連合会の一地方連合組織である私鉄中国地方労働組合に属する支部である。

(2) 補助参加人の組織状況等

昭和六二年当初は、原告の従業員のうち、事務系従業員及びガイド職を除き、組合員資格を有する者の大半である約二七〇名が補助参加人の組合員であったが、同年の春闘以降、同年五月一六日から同年六月一日の間に二二名、昭和六三年八月八日から同年一二月二〇日の間に四八名、平成元年二月一四日から同年一二月二五日の間に四四名、平成二年一月以降七名、平成三年六月までに合計一二一名が脱退した。また、昭和六二年までは、例年、新規採用の現業系従業員のほとんどが補助参加人に加入していたが、昭和六三年には加入者はなかった。

なお、昭和六三年一一月ころの原告の従業員数は約三五〇名、うち補助参加人の組合員は約二一〇名、本件救済申立ての審問終結時(平成三年六月二四日)には、従業員数には変動はなく、組合員数は約一一〇名であった。

(3) 労働協約

原告と補助参加人間の労働協約は、昭和二九年九月に締結され、以後、毎年改訂又は更新された。本件労働協約は、昭和五九年一二月一四日付けの労働協約が改訂及び更新されたもの(直近の更新日は昭和六二年一二月二〇日。)である。

本件労働協約の有効期間は昭和六三年一二月三一日までであったため、補助参加人は原告に対し更新を要求したが、原告は、昭和六三年一二月九日、労務部長楢村普典(以下「楢村労務部長」という。)名で当時の補助参加人の執行委員長山本利正宛てに、有効期間満了の翌日である昭和六四年一月一日以降本件労働協約を更新する意思がない旨通知した。その結果、本件労働協約は同月三一日限りで失効し、以後現在まで、原告と補助参加人間には労働協約が存在しない。

(4) 原告の賃金等の体系

原告の就業規則三一条によれば、従業員の賃金、諸手当、昇級等については、「賃金規定」によるとされており、本件賃金規定三条によれば、原告の賃金は、基本給(年齢給、勤続給及び能力給)と諸手当(家族手当、精勤手当、職務手当、食事手当、乗務手当、住宅手当、その他の手当)からなる基準内賃金と、超過勤務手当(時間外手当及び深夜手当)及びその他の手当(ワンマンカー手当、ガイド手当、祝日手当、指導手当、宿直手当及び通勤手当)からなる基準外賃金によって構成されている。

精勤手当は、昭和三九年春闘から「出勤手当」の名称で導入され、昭和四二年に「精勤手当」と名称変更されるとともに欠勤控除の制度が導入され、現在に至っている。右手当については、本件賃金規定二六条に「従業員が一か月間欠勤なく出勤したときは、精勤手当として一八〇〇円を支給する。ただし、欠勤一日につき六〇〇円を減額し、三日以上欠勤した時は支給しない。なお、組合業務の場合は本規定第二五条二項を適用する。」と規定されている。

住宅手当は、昭和四九年春闘から導入され、現在に至っており、本件賃金規定三〇条に、「従業員が一か月間欠勤なく出勤したときは、次により住宅手当を支給する。扶養家族のある者七〇〇〇円、扶養家族のない通勤者四〇〇〇円、寮生一〇〇〇円。ただし、欠勤一日につき次の金額を減額する。扶養家族のある者二八〇円、扶養家族のない通勤者一六〇円、寮生四〇円。」と規定されている。

夏季及び冬季臨時給与の支払は、昭和二一年一一月頃から「生活危機突破資金」として始まり、越冬資金、夏季手当等の名目で受け継がれ、昭和三二年から「年間臨時給与(夏季分、冬季分)」となり現在に至っている。このような年間臨時給与については、本件賃金規定に定めがなく、原告と補助参加人間において毎年賃上げと共に協定されて支払われている。本件協定書によれば、「Ⅱ年間臨給として、五・〇か月分(一人税込み、夏季・冬季各二・五か月分)、欠勤等による臨給の減額につき、欠勤五日を超える日数一日につき夏季分は一五六分の一、冬季分は一五八分の一を減額する。上記欠勤日数の算定は次の基準による対象期間内の、自己欠勤及び病気欠勤一日を一・〇に、無届欠勤一日を二・〇に、遅刻及び早退三回を一・〇に、通勤途上における無責任事故による欠勤は三日を一・〇にする。」である。

「住宅(第二)手当」は、昭和五四年の秋季交渉以降、年二回の臨時給与の支払時に合わせて支給されるようになった。これについても本件賃金規定には定めがなく、労使間の協定によって毎年支払われており、本件協定書によれば、「Ⅲ住宅(第二)手当として、昭和六三年度分は、夏季冬季とも各一律二二四〇〇円とする。」とされ、欠勤による減額については、臨時給与に関する規定を適用するとされていた。平成元年に、名称が「精励手当」と変更され、考課制(査定)が導入された。

(5) 欠勤の場合の減額条項

本件労働協約九五条には、「会社は争議行為に参加した組合員に対してはその日数及び時間に対する一切の賃金はこれを支払わない。」旨の規定があった。右条項は、遅くとも昭和三三年九月三〇日付けの労働協約には規定されており、以後変更されていない。

また、精勤手当については本件賃金規定二六条に、住宅手当については同三〇条に、年間臨時給与及び住宅(第二)手当については本件協定書に、それぞれ前記のとおり欠勤の場合の減額条項がある。

右各減額条項のほか、ストカットの範囲に関して具体的に定めた明文の規定はない。

(6) 昭和六一年までのストカットの状況

補助参加人は、昭和三三年から昭和六一年までの間、毎年ストライキを実施した(昭和三九年、四一年、四五年、五〇年の各春闘ではいずれも合計三日間の全日ストライキが行われた。)が、ストカットの対象とされたのは、昭和四一年の祝日手当以外は、すべてのストライキについて基本給のみであり、本件手当等について行われたことは一度もなかった。

祝日手当については、昭和四一年にストカットが実施されたが、補助参加人からこれを不当として岡山地方裁判所に対して訴えが提起され、昭和四七年四月一三日に右ストカットは許されない旨の判決が出された(同庁昭和四一年(ワ)第五八二号)。昭和四二年以降は、祝日手当についてもストカットは行われていない。

昭和四二年以降昭利六一年まで、ストカットの範囲について、労使間で論議されたり協定が結ばれたことはなく、また、原告が留保を付けたり異議を申し入れたこともなければ、補助参加人からの要求もなかった。原告の内部において、本件労働協約九五条の解釈について問題としたこともなかった。そのため、補助参加人は、基本給以外の手当等については、ストカットは行われないものと認識していた。

(7) 昭和六二年の春闘及びストカットの状況

ア 昭和六二年春闘の状況

補助参加人は、昭和六二年二月二六日、原告に対し、一人平均二万円の賃金増額等の春闘要求を提出し、原告は、同年四月一六日、増額四八〇〇円とする旨回答したが、補助参加人はこれを拒否して、同日、第一波二四時間のストライキに突入し、以後同年五月一四日までの間に、合計五波七日間におよぶストライキを実施した。その後、被告によるあっ旋が行われたものの進展はなく、同年六月一九日になってようやく一人平均六七〇〇円の増額等で妥結した。右のような長期かつ多数回のストライキは、昭和二一年の補助参加人の結成以来はじめてのことであった。

イ ストカットの実施

原告は、昭和六二年六月二日、補助参加人に対し、同年七月一〇日に旧ベースで臨時給与夏季分の仮払いを行うこと、その際同年四月一六日から五月一四日までのストライキについて従来の支給基準に基づきストカットを行う旨通知した。この「従来の基準」の意味について、当初、楢村労務部長は、「一般の欠勤と同様に扱い、欠勤五日までは欠勤控除せずそれを超える日数について一日当たり一五五分の一を控除する。」と補助参加人に説明していたが、同月三〇日には、「ストライキによる不就労日数とその余の欠勤日数とは別個に計算し、格別にそれぞれが五日を超える日数についてカットを行い、五日までの日数についてはいずれもカットの対象としない。」と変更した。ところが、原告は、同年七月七日、補助参加人に対し、ストライキによる欠勤は一般の欠勤と同一扱いにはしないとして、右いずれの見解も取り消し、ストライキについてはその日数の多寡にかかわらず全日数につき一日当たり一五五分の一を控除する旨通知した。

原告は、同月一〇日、右同月七日付けの通知のとおり、臨時給与夏季分二・五か月分及び住宅(第二)手当夏季分の仮払いに際し、四月一六日から五月一四日までのストライキについて、その参加日数の全日にわたり一日当たり一五五分の一ずつを控除し、更に、同年九月一〇日、賃上げ協定に基づき仮払いした臨時給与夏季分との差額を支払う際にも、同様の控除をした。

ウ 右ストカットに関する救済命令等

補助参加人は、(二)のストカットは不当労働行為であるとして、被告に対し救済を申し立て、被告は、平成元年七月二五日、右申立てを認容して救済命令を発した。原告は、岡山地方裁判所に右命令の取消を求める訴えを提起した(同裁判所平成元年(行ウ)第九号)が、右請求は棄却され(平成四年一月二八日判決)、右判決は既に確定している(平成五年五月二五日控訴棄却、同六年二月二四日上告棄却)。

(8) 昭和六三年春闘の状況

補助参加人は、昭和六三年二月二五日、一人平均二万三〇〇〇円の賃金増額、臨時給与〇・二か月の賃上げ等を内容とする春闘要求を提出したが、原告は、補助参加人に増収・合理化策を提示し、これに対する労使間の合意が有額回答の前提である旨回答した。そこで、補助参加人は、同年四月一二日、第一波二四時間のストライキを敢行した。以後、合理化策の先議を主張して有額回答をしない原告(七月一日になって初めて一人平均七三〇〇円増とする回答が提示された。)と合理化策は賃上げ問題とは切り放して別個に協議すべきであるとする補助参加人は激しく対立し、交渉は難航を究め、被告からの労使双方に対する早期解決を促す勧告やあっ旋申請の勧告及び地方公共団体や一般市民からの早期妥結の要望等にもかかわらず、同年七月七日までの間に、電車・バス全面二四時間スト七日間を含む合計九波二三日間におよぶストライキが実施された。その間、七月四日以降は、交渉妥結まで二四時間ストを反復する事実上の無期限ストに突入し、同月七日に労使双方が被告にあっ旋を申請するまで継続された。翌八日、労使双方は、一人平均七五〇〇円の賃金増額、年間臨時給与につき前年と同じ五・〇か月との被告のあっ旋案を受諾し、同月一五日、右あっ旋案を内容とする協定を結んでようやく妥結した。このように昭和六三年春闘は、組合結成以来の激しさだった前年度よりも更に苛烈を極めた。

他方、原告は、右の春闘期間中、同年四月一六日付けで、「共に咲く喜びを求めて―あいそづかしのスト雑詠」との表題の文書を全従業員に配付したが、右文書には、「昭和六三年の賃上げ交渉についての社長の所信を披露する。」として原告代表者代表取締役松田基が詠んだ短歌五四首が記載されており、その中には、「眼の上の、うろこ落とせぬ、組合の、知能指数を我は疑う。」「貧にして、孝子出づとはいうものの、天につばはく、鬼っ子組合。」「組合費、知るには由は、なけれども、余り高きに、人は驚く。」「脱退も、加入も自由、組合の、指導のままに、人は動かじ。」「したければ、何日なりと、ストを打て、競合路線の、会社喜ぶ。」「組合のストに屈せじ、つぶされて、たまるものかは、企業守らん。」などと、明らかに補助参加人及びその組合活動を誹謗中傷していると認められるものやストライキに対する強い嫌悪を示すものが含まれていた。

また、原告は、同年六月二四日付けで、同年の臨時給与夏季分の仮払いに関する右代表者名の「お知らせ」を全従業員の家庭に配付したが、右文書には「失われた市民の信頼を回復するため、“ストップ・ザ・ストライキ”と業績の回復手立てで、岡電元年をスタートさせる労使交渉が煮えつまらぬまま今日に及び」と記載されていた。春闘要求に対する同年七月一日付けの補助参加人の当時の執行委員長沖野幸雄宛の回答書には、「六二年度業績は、旅客の減少に更に連続ストが輪をかけ又陰湿な時間外就労拒否闘争により営業収支段階において対前年一億数千万円の赤字を計上し人件費比率も既に七〇パーセントをこえ、会社は危険な状態におちいっている。(中略)“ストップ・ザ・ストライキ”“ノー・モア・ストライキ”で市民の信頼を回復しなければならない。」などと記載されていた。

(9) 本件ストカットの実施

ア 七月二五日付けストカット

原告は、右春闘期間中の昭和六三年六月一三日、第一八回団体交渉において、補助参加人に対し、同年の臨時給与等についてストカットを実施する旨通告し、これに対し補助参加人は、ストカットには同意しない旨回答し、同月二四日付けで、全従業員に対し、同年七月八日に臨時給与夏季分の仮払いを行う旨文書で通知したが、その際、五月一五日までのストライキについては、正規の支給の際に控除する旨付記した。更に、同年七月六日の第二二回団体交渉において、臨時給与等についてのストカットを前年同様実施する旨再度通告した。

原告は、同月二五日、七月分の給与の支給に際し、住宅手当及び精勤手当について、同年六月一六日から同年七月一五日までのストライキにつき、住宅手当についてはストライキ一日につき二八〇円又は一六〇円、精勤手当についてはストライキ一日につき六〇〇円のストカットを実施した。

同月二六日、楢村労務部長から補助参加人の当時の書記長津田俊明に対し、右七月二五日付けストカットに関する説明があったが、右津田は、右ストカットには納得できない旨返答した。補助参加人は、同月三〇日の労使協議会において、原告に対し、七月二五日付けストカットについて抗議し、その再検討を要請したが、同年八月四日、楢村労務部長から、変更できない旨回答があった。

イ 九月九日付けストカット及び一二月九日付けストカット

原告は、同年九月八日、楢村労務部長名の「お知らせ」で、「本件労働協約九五条に基づいて、昭和六三年九月九日に支給される同年四月分から八月分までの昇級分、臨時給与夏季分の差額分、住宅(第二)手当について、<1>昭和六二年の五波七日のストライキにつき各人昇級額一〇パーセントを控除する、<2><1>により四月分から八月分の昇級額分を計算し、昭和六三年の二三回のスト日数及び時間につき控除する、<3>昭和六二年一一月一六日から昭和六三年五月一五日までのスト日数に基づき、臨時給与夏季分の差額分と住宅(第二)手当について控除する。<4>同年一二月に支給される臨時給与冬季分及び住宅(第二)手当について、同年五月一六日から七月七日までのスト日数に基づき控除する。」旨通知した。

そして、昭和六三年九月九日、右通知<1>ないし<3>のとおり、昇級額の一〇パーセント控除、臨時給与夏季分の差額分及び住宅(第二)手当についてのストライキ一日につき一五六分の一ずつのストカットを実施した。

補助参加人は、同月一〇日の団体交渉の際に、右九月九日付けストカット分についての返還を求めるとともに、右通知<4>の臨時給与冬季分のストカット(一二月九日付けストカット)を実施しないよう求め、「ストカット準則の作成を課題としよう。」と提案したが、原告は、「ノーワーク・ノーペイの見地から」として右要求をいずれも拒んだばかりか、更に、組合業務のため一日中勤務を離れた場合についても欠勤として控除する旨通知した。

楢村労務部長は、同月一四日の団体交渉の際、補助参加人に対し、九月九日付けストカットを撤回する意思のないことを明らかにしたうえ、右通知<4>の一二月九日付けストカットについて再度通告した。これに対し、補助参加人は、「しかるべき措置を取る。」旨回答した。

原告は、同年一二月九日、右通知<4>のとおり、臨時給与冬季分及び住宅(第二)手当について、ストライキ一日につき一五八分の一ずつのストカットを実施した。

ウ 昇級額の控除について

本件協定書Ⅰによれば、昇級額については、一六日未満の欠勤は減額されず、欠勤一六日から三一日までが昇級額の一〇パーセントを減額され、以下順次欠勤日数の増加に応じて減額割合も増加することになっていたが、右九月九日付けストカットにおいては、不就労日数が一六日未満の者についても一律に一〇パーセントの控除が行われたため、補助参加人から、「協定上何の根拠もない不当なものである。」旨の強い非難が出た。そこで原告は、補助参加人が被告に本件救済申立てをなした後にこれを撤回し、平成元年一一月二四日までに右控除分を各組合員に返還した。そのため、救済申立てのうち昇級額控除に関する部分については、平成二年一月一六日に取り下げられた。

(三)  右事実に基づいて判断すると、

(1) 労使慣行の確立

本件労働協約九五条には、ストライキによる不就労につき「一切の賃金はこれを支払わない。」旨規定されていたが、原告は、昭和六一年までは、祝日手当を除き、基本給以外のストカットを実施せず、祝日手当についても、昭和四一年に実施したストカットに対し、補助参加人が訴訟を提起したことや右ストカットが合理性を欠くとする判決が出たことなどから、昭和四二年以降実施していないこと、その間、ストカットの範囲について、原告と補助参加人間で論議されたり協定が結ばれたことはなく、原告が留保を付けたり異議を申し入れたこともなければ、補助参加人からの要求もなかったこと、本件労働協約九五条の解釈につき疑義が出されたこともないこと、就業規則である本件賃金規定や本件協定書には、ストカットの範囲に関する明文の規定はないこと、補助参加人は、基本給以外の本件手当等については、ストカットは行われないものと認識していたとみることができる。

そうすると、原告と補助参加人間において、昭和六一年ころまでに、基本給以外の本件手当等についてはストカットをしない労使慣行が確立し、本件労働協約九五条の「一切の賃金」は基本給のみを意味しそれ以外の本件手当等は含まれず、本件賃金規定や本件協定書の「欠勤」にはストライキによる不就労は含まれないものとして解釈、適用されてきたものというべきである。

なお、原告は、昭和六一年まで基本給以外の手当についてストカットを実施しなかったのは、原告が任意的、恩恵的に欠勤による減額条項をルーズに運用していた結果であり、運用上の過誤である旨主張するが、右のとおり、右主張は採用しない。

また、原告は、右労使慣行は、昭和六二年のストカットの実施及びその後の期間の経過により、有効に破棄されている旨主張する。しかし、確立した労使慣行を破棄するには、原告において、ストカット実施以前に、補助参加人に対し、その理由及び必要性を示して、交渉又は説得等の手続を踏むべきである。前記(二)(7)のとおり、原告は、そのような手続を経ずに一方的に労使慣行に反するストカットを実施し、ストカット自体が確定判決により不当労働行為と認定された以上、その後、相当期間が経過したからといって、従前の労使慣行が失効するものではない。

(2) 不当労働行為性

右(1)のとおり、原告と補助参加人間において、基本給以外の本件手当等についてはストカットをしない労使慣行が確立していたところ、原告は、昭和六二年七月、同年の春闘におけるストライキについて、臨時給与及び住宅(第二)手当のストカットを実施して、右の労使慣行を一方的に破棄した。その後、昭和六三年の春闘におけるストライキについて、本件ストカットを実施して、その範囲を拡大したものであり、本件ストカットは、いわば昭和六二年のストカットの延長上にある。

そして、前示(二)(8)及び(9)のとおり、原告は、昭和六三年春闘時、補助参加人に対して、本件ストカットの実施を一方的に通告し、これに反対する補助参加人に対し、合理的な理由を説明することもせず、同年九月には、補助参加人から「ストカット準則の作成を課題としよう」との提案がなされたにもかかわらずこれを拒否している。右経過からは、原告には、本件ストカットの範囲について補助参加人と協議しようという姿勢がうかがわれない。更に、昭和六三年春闘が前年にもまして苛烈であったこと、右春闘期間中の原告代表者の態度や原告が配付した文書中には、原告のストライキに対する強い拒否反応が表れていること、当初、本件ストカットとともに実施された昇給額のカットが通常の欠勤よりも不利な条件で行われたことが認められる。

そして、以上の事実に加えて、前示(二)(7)の昭和六二年春闘のストライキの状況及び同年のストカットの経緯等からみると、本件ストカットは、原告が、補助参加人の活動を嫌悪し、ストライキに対して報復するとともに、将来のストライキを抑制し、その結果として賃金の増額を抑え、ひいては組合の弱体化を図る目的で行ったものと認められ、労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為である。

なお原告は、昭和六一年以降経営状態が急激に悪化したために、経営合理化の必要性から、本件ストカットを実施したものであり、合理的な理由がある旨主張する。確かに、(証拠・人証略)によれば、バス事業全体の業績不振が続く中、原告においても、その収益の八〇パーセントを占めるバス部門の運輸収入は、乗合バス部門の乗客人員数の減少等により減少傾向にあり、他方で、運輸収入に占める人件費の比率は、昭和六〇年までは、六五パーセント程度であったのに、昭和六一年以降増加し、昭和六二年には七〇パーセントを超える状態にあったことが認められ、当時、原告にとって、業績回復のための経営合理化が最優先課題であったとみることができる。しかし右事実があるからといって、本件ストカットを不当労働行為であるとする前示判断が左右されるものではない。

(3) 以上のとおり、本件命令が、本件ストカットにより控除された分の金員の支払を命じた本件命令主文一は正当である。

2  請求原因2(チェックオフ)について。

(一)  (一)については争いがない。

(二)  原告は、平成四年二月二一日会社従業員の過半数を代表する者との間で書面による協定を締結して、補助参加人の組合費及び闘争積立金のチェックオフを再開した(争いがない。)。したがって、本件命令主文二は、右再開の時点以降その基礎及び拘束力を失うから、右命令の取消しを求める訴えは、法律上の利益を欠くものというべきである。

3  請求原因3(脱退勧奨)について。

(一)  (一)については争いがない。

(二)  証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 高屋営業所について

高屋営業所は、原告のバス部門の三営業所の一つである。昭和六三年から平成元年ころの従業員数は、約七〇名であった。

高屋営業所における補助参加人の組織状況は、昭和六二年当初は、現業系従業員のほとんどが補助参加人の組合員であったが、同年五月二三日から同年六月一日の間に四名、昭和六三年八月一一日から同年一一月三〇日の間に八名、平成元年三月一五日から同年一一月一五日の間に一二名、平成二年一月以降に一名、平成三年六月までに合計二五名が脱退した。そのため、組合員と脱退者の間で脱退をめぐって紛争が起きるなど、両者の関係は険悪な状態にあった。

(2) 職制等

ア 職制等

昭和六三年当時の原告のバス部門の職制系統は、上から順に、営業部長、各営業所長、次長、営業係主任となっており、営業部長は常務取締役の指揮下に置かれている。教育主任は平成元年六月にバス・電車運転手の教育指導を行う職制として新設されたものであり、各営業所ごとに一名ずつ置かれ教育担当として次長の下位に位置するが、同時に、労務部長以下、教育担当課長、同係長の下位の職制でもある。

イ 運行管理者及び運行管理代務者

運行管理者は、バス・電車運転手の勤務操作や乗務指導等、一般乗務員の日常業務を管理する者である。同代務者は、運行管理者の補充要員として設けられているものであり、一定期間経過後は、運行管理者に任命されている。従業員間では、運行管理者及び同代務者は、他の一般運転手と区別して「内勤」と呼ばれ、運転手より上位の職と受け取られていた。

高屋営業所では、平成元年一月当時、運行管理者三名、同代務者二名が置かれていたが、右運行管理者三名は、平成元年一二月以降平成六年二月までに、いずれも定年退職することになっていたため、運行管理代務者の補充が予定されていた。

なお、平成元年一月当時、右営業所の運行管理者及び同代務者のうち四名はすでに補助参加人から脱退しており、他の一名も平成元年三月には脱退した。そのため、従業員間では、運行管理者又は同代務者になることは補助参加人から脱退することであると思われていた。

(3) 補助参加人の組合員三名に対する働きかけ

ア 関係者

太田克己、吾郷泰弘及び早瀬隆正(以下それぞれ「太田」「吾郷」「早瀬」という。)は、いずれも高屋営業所所属のバス運転手で、補助参加人の組合員である。組合役員の経験はなく、積極的に組合活動を行ったこともない。

神崎は、昭和六三年三月九日以降、高屋営業所長の職にある。

萩原正剛(以下「萩原」という。)は、昭和六三年当時、右営業所の次長であったが、平成元年、同営業所の副所長に就任した。

曳木三明(以下「曳木」という。)は、同営業所所属のバス運転手であるが、昭和六三年八月に補助参加人から脱退している。

同じく同営業所の従業員宇都輝明「以下「宇都」という。)は、昭和六三年八月一六日、運行管理代務者となり、平成元年六月に教育主任に、同年一二月一日に運行管理者及び整備管理代務者に任ぜられている。同人は、昭和六三年一一月三〇日に、補助参加人から脱退している。

イ 太田に対する行為

神崎は、昭和六三年一〇月四日、右営業所内の応接室において、太田に対し、乗客から苦情があった同人の運転態度について注意した後、「今の組合のやり方ではいけない。仕事をしないで金ばかりとろうとする。」、「能力給が〇円と五〇〇円とでは将来大きく違ってくる。団地線や万成線が減便になれば、人員が減らされる。あんたが今はかわいくても、辞めてもらわないといけないかもしれない。脱退せよとは言わんが、まあ、後二〇年あるんだから、よく考えなさい。」などと話した。

また、曳木は、昭和六三年秋頃から、太田に対し、「会社はいろいろなことを考えている。今にえらいことになるぞ。組合の者はそれを知らないだけである。」などと話しかけていたが、平成元年六月初めころ、宇都方に太田を連れていき、当時右営業所の教育主任であった宇都が、太田に対し、「上の者から、八月までには片を付けうと言われている。」、「セーさん(右営業所所属の補助参加人の執行委員)について行っていれば定年まではおられないぞ。脱退すれば定年まで安泰でいられる。言うことをきかないと、各営業所を三か月ごとにグルグルまわしにしてもよい。」などと話し、更に「この話は絶対、人にはしゃべるな。しゃべったら君の首がなくなる。」と付言した。これを聞いて不安になった太田は、補助参加人から脱退してもよい旨答えた。

その後、曳木は、再三、脱退届を出すよう太田に催促し、「夏季の臨時給与の考課があるから、六月一五日までには脱退届を出すように。」などと告げ、宇都は、同年七月初めころ、曳木とともに太田の自宅を訪れて、脱退届の作成及び署名押印を求め、太田がこれに応じると、「これで定年まで安心である。」などと言って脱退届を持ち帰り、後日、補助参加人宛に郵送した。

ところが、補助参加人がその受領を拒否したため、脱退届は太田に返送され、太田は、その頃には、脱退するのはやめようと思うようになっていたため、補助参加人に対し、右の経緯を説明した。

なお、平成元年当時の太田の勤務評価は、同年四月に妥結した賃上げの調整給及び同年七月に支給された精励手当夏季分の考課査定においてはいずれも三段階評価の最高であったのが、同年一二月に支給された精励手当冬季分においては最低となった。右評価の低下には合理的な理由が認められない。

ウ 吾郷に対する行為

吾郷は、昭和六三年七月ころ、同営業所構内において、萩原から、「ちょっと話がある。一度席を設けて話がしたい。会社の建て直しをしようではないか。協力をしてくれ。」などと話しかけられ、同年八月下旬には、前記曳木から、「会社の建て直しに吾郷さんも協力してくれ。」と言われた。また、同年一一月一一日、右営業所内の応接室において、萩原の同席のもと、神崎から「私鉄岡電は、もう先が見えたよ。」「会社は他社との競合路線は減便し、人員を減らしていっている。余った人員は京山ロープーウェーに送り込んでいく。各営業所の独立採算制に移行する。会社の建て直しに協力してほしい。」などと言われた。更に、同月一八日には、同営業所内で、萩原から電話で「今度、思わぬ人が脱退をするから、ちょっと話をする時間をくれないか。」と言われた。

エ 早瀬に対する行為

神崎は、平成元年一月二一日、早瀬を応接室に招き、「内勤をする気はないか。」と運行管理代務者になることを打診し、更に「君が脱退してくれれば、二、三人の者も同調する。」旨述べた。

その後、同年一二月に運行管理者一名が定年退職し、同代務者一名が運行管理者に任ぜられ、新たに岡田幹康が同代務者に選任された。右岡田は、昭和六二年六月に補助参加人から脱退している。

(証拠・人証略)中右事実に反する部分は採用できない。

(三)  右事実によれば、

前示(二)のとおり、昭和六三年秋頃から平成元年七月頃にかけて、神崎、萩原、宇都、曳木が、補助参加人の組合員太田に対し、それぞれ、補助参加人に加入していると会社内部で不利な取扱いをされるおそれがある旨示唆する言動をしたり、補助参加人からの脱退を勧誘したことが認められる。

また、昭和六三年七月ころから同年一一月にかけて、神崎、萩原及び曳木が、補助参加人の組合員吾郷に対し、会社の再建についての協力を要請したことが認められるところ、当時、原告において人件費率の上昇を抑えることが重要課題とされ、昭和六二年及び六三年春闘において、賃上げ額を低く抑えようとする原告に対し、補助参加人が激しく抵抗したこと、右春闘後、原告がストカットの範囲を拡大し、組合費等のチェックオフを廃止したことなどに照らせば、神崎らのいう「会社の建て直し」には、補助参加人の弱体化を図る意図が含まれ、吾郷に対する右協力要請は、補助参加人からの脱退を勧めるものとみるべきである。

更に、平成元年一月、神崎が、補助参加人の組合員早瀬に対し、運行管理代務者となることを打診したことが認められるところ、運行管理者及び同代務者となった者は、すべて補助参加人から脱退していること、従業員間では運行管理代務者になることは補助参加人から脱退することであると思われていたこと、早瀬が断った後その代わりに運行管理代務者となった者は補助参加人からの脱退者であったことなどの事情に照らせば、右打診は、補助参加人からの脱退の打診と実質的に同様とみるべきである。そして、神崎が、「君が脱退してくれれば、二、三人の者も同調する」旨述べていることからも、早瀬に対する行為は、補助参加人からの脱退を働きかけたものというべきである。

そして、神崎、萩原、宇都がいずれも原告の職制であること、宇都の太田に対する発言中に上司からの意を受けて行動していると推察させる部分があること、曳木は太田に対し宇都と共同して脱退を勧誘していること、前示1(二)(2)、3(二)(1)のとおり、昭和六二年春闘以後、補助参加人からの脱退者が急増しており、昭和六三年八月から平成元年一二月までの間には全体で九二名が脱退し、高屋営業所おいても脱退者があったこと、前示1(二)、(三)及び後記4(二)のとおり、昭和六二年春闘以降、原告が、補助参加人の弱体化を図るべく、ストカットの範囲の拡大、組合費等のチェックオフの廃止などの方策を実施していることなどを総合すると、太田、吾郷、早瀬に対する脱退勧奨は、いずれも原告の意向に従って組織的に行われたものとみるべきである。

そうすると、原告が、補助参加人の組合員に対し脱退勧奨を行い、このことが労働組合法七条三号の不当労働行為に該当することは明らかである。

したがって、本件命令主文三は正当である。

4  本件命令主文四(ポストノーティス)について。

(一)  本件命令主文一、三に関する部分については前示認定判断したところから、本件命令主文四が正当であることは明らかである。

(二)  証拠(<証拠・人証略>)によれば、原告は、遅くとも昭和三三年一〇月一日から本件廃止にいたるまで、補助参加人の組合員につき、組合費及び闘争積立金のチェックオフを継続して実施してきたが、その間、右チェックオフに関して、労使間で協議されたり、労使のいずれかが異議を述べたことはなかったこと、本件労働協約一一条には、「会社は組合員に支払う賃金の内より下記に該当する金額を控除して支払うことができる。1法令に定めのあるもの、2立替金、給食費、会社より購入品の代金、貸付金の返済、会社に対する諸弁償金、組合費、3その他会社と組合で決めたもの」との定めがあったが、昭和三三年ころの労働協約に同旨の規定が存在しており、以後、本件労働協約が昭和六三年一二月三一日限りで失効するまで、変更されたことはないこと、本件賃金規定七条は、「賃金は通貨をもって直接本人に支払う。但し、次に掲げるものを控除することができる。」として、8及び9項に「8労働組合費、9その他会社と組合で決めたもの」と規定していること、原告は、昭和六三年一一月一四日、楢村労務部長名で、前記山本執行委員長宛てに、「労務部の事務が複雑多岐にわたっているので、これを簡素化するため、昭和六三年一一月分の給料に関する分以降、これまで実施してきました貴支部の組合費と積立金(臨給分を含む)の控除を廃止する」旨通知し、同月二五日の給与支給日から、本件チェックオフを廃止したこと、原告においては、賃金からの控除に関する事務は、本件組合費等を含めてコンピュータ処理されていたこと、補助参加人の組合費及び闘争積立金以外の経費は、従前どおり控除されていることが認められる。

(三)  右事実に基づいて判断すると、

原告において、昭和三三年一〇月一日以降三〇年以上にわたって実施された本件チェックオフを、昭和六三年一一月に突如一方的に廃止したこと、チェックオフが廃止された費目は、補助参加人の組合費及び闘争積立金のみであり、それ以外の経費については従前同様にチェックオフが行われていること及び本件チェックオフに関する事務はコンピューター処理されていたことからみると、右原告が主張する労務部の事務の簡素化が本件廃止の理由であったとみることはできず、他に、本件チェックオフ廃止の合理的な理由は認められない。昭和二九年九月以降、毎年改訂ないし更新していた労働協約につき、突然更新を拒否した理由についても、合理的といえる根拠は見出しえない。

したがって、本件廃止の時期が前示1(二)の昭和六三年春闘の数か月後で、本件ストカットと同時期であることなども勘案すると、本件チェックオフの廃止は、補助参加人の弱体化を図る目的で行われた、労働組合法七条三号該当の不当労働行為というべきである。

なお、原告は、本件チェックオフは、労働基準法二四条一項に違反していたから、その廃止は違法状態を解消するものであった旨主張する。

しかし、本件チェックオフが廃止されたのは本件労働協約の有効期間内である昭和六三年一一月であるところ、組合費については、本件労働協約一一条一号に明文で定められ、闘争積立金については、三〇年以上にわたってチェックオフが実施されて、原告と補助参加人間に、チェックオフをすることについての黙示の合意が形成されたことにより、同条三号の「その他会社と組合とで決めたもの」に該当するに至ったとみることができる。そして、本件労働協約の効力発生時である昭和六二年一二月二〇日の更新時には、補助参加人は従業員の過半数を超える数の組合員を有していた(前示1(二)(2))から、本件チェックオフは、労働協約に基づくものとして、違法とはいえない。

以上のとおり、本件命令主文四中主文二に関する部分は正当である。

二  結論

以上の次第で、原告の請求のうち、本件命令主文一、三、四の取消しを求める部分については理由がないから棄却し、同主文二について取消しを求める部分については訴えの利益がないから却下し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田亮一 裁判官 吉波佳希 裁判官 濵本章子)

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